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2005年8月24日 (水)

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東大社流鏑馬祭(10月20日)

_027 ■2005・10・20 東大社流鏑馬祭

 流鏑馬祭は、約900年前の康和年間から始まったと伝えられています。現在は、馬上から的を射るのではなく、騎射装束を着けた神職が社前の庭上から射て居ります。東大社の御祭神は神武天皇の御母上玉依姫命ですが、古来、農業、漁業の守り神、又授子、安産の神との信仰があるところから、この矢を拾うと縁起が良いといわれ、境内は大賑わいと成ります。東庄町HPより転載

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2005年8月23日 (火)

雲井岬つつじ公園

_  東大社に隣接している。私のお気に入りの場所である。高校時代、愛犬のシェパードの「クロ」を連れ、実家から、雲井岬つつじ公園と東大社までよく走った。広大な敷地内には「おおむらさき」「やまつつじ」「琉球」ど約3000本のツツジが植えられている。見頃は毎年ボンボリが点灯する4月下旬から5月中旬だ。

 この公園はつつじが綺麗なことはいうまでもないが、高台にあるため、眼下に水田地帯が見渡せる。見晴らしが抜群にいい。

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故郷にもお遍路さんがあった!

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 「南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)接待食(く)いでー」「南無大師遍照金剛、接待食いでー」―。仏教について、いろいろ調べていたら、突然、幼き日の記憶が蘇ってきた。確か、小学校に入る前の出来事だった。故郷の田んぼのあぜ道を母や部落の人たちに連れられて、大声で、冒頭のように唱えながら歩いた。かなりの距離だった。季節は春。途中、よその部落で「おむすび」をいただいた。「食いでー」は、故郷の方言で「食べたい」といいう意味である。少年時代のあの出来事は一体、なんだったのだろうか。

▽故郷と鎌倉を結ぶ千葉氏
 私の故郷の地名は、千葉県香取郡東庄(とうのしょう)町。わが国最初の実測日本地図をつくりあげた伊能忠敬ゆかりの佐原市と、日本有数の漁業基地である銚子市のほぼ中間にある農村地帯だ。近くを利根川が流れている。子ども時代はコメ、麦、サツマイモが主力農産物だった。しかし、最近は大消費地に近いという地の利を生かして野菜にシフトしている。「ホワイトボール」という名付けられたコカブの産地、あるいはイチゴ刈りのスポットとして、知名度が上がりつつある。

 東庄はかつて橘庄と呼ばれていた。千葉氏探訪(千葉日報社発刊)の著者で地方史研究家の鈴木 左(たすく)さんによると、地名が変わったのは「鎌倉幕府創設者の源頼朝に『常胤(つねたね)は第二の父である』であるいわしめるほど絶大な信頼を得た鎌倉幕府、屈指の御家人、千葉常胤の六男・胤頼が、東庄周辺の領主となり『東』を名乗ったためだ」という。まったく意識していなかったが、故郷と現在住んでいる鎌倉市は、千葉氏を通じて縁があったのだ。千葉氏は鎌倉駅の西口に邸を構えていたという。

▽長兄の死をきっかけに宗派を意識
 円覚寺の暁天坐禅会に通うようになるまで、実家の宗派がなんであるか、まったく興味もなかったし、知りもしなかった。私は「団塊の世代」である。きっと、私の世代というか戦後生まれの世代は、似たり寄ったりではないか。2年前、実家の宗教は真言宗であることを知った。知ったというより、意識したというのが正解かもしれない。長兄の死がきっかけだった。
 長兄のお通夜に参列したその日の早朝、暁天坐禅会に参加した。坐禅会が終わってから当番のお坊さんに聞いてみた。「これから、兄の通夜に行きます。実家の宗派は真言宗です。お世話になった兄にお経を上げたいと思います。ただ、私の知っているお経は、この坐禅会で教えてもらった『般若心経』、『白隠禅師坐禅和讃(はくいんぜんじざぜんわさん)』、『四弘誓願文(しぐせいがんもん)』の三つしかありません」。「『般若心経』だったら平気ですよ」。般若心経が禅宗と真言宗の両派の共通の「バイブル」的な存在であることを後日、知った。

▽真言密教の神髄は「即身成仏」
 真言宗は、わが国最大の宗教的天才といわれる弘法大師こと空海が開祖だ。空海は奈良時代末期の774年、四国の香川県に生まれた。天才、空海は仏教に限らず、文化、教育、社会事業などの分野でも目覚ましい業績を残している。
真言宗は密教である。密教は紀元4~5世紀に、大乗仏教の流れ中で生まれた。お釈迦様の教えをベースに、インド古来の考え方や慣習などが修行法として折り込まれ、インドから中国に伝わった。遣唐使の一員となった空海が、中国から持ち帰り、体系化した。

 私が初めて受講した仏教講座の講師であり、飲み仲間(最近は御無沙汰してるが…)の田中成明師(国際マンダラ協会会長、真言宗)に「空海が完成させた真言密教の神髄とは何か」と尋ねたことがある。その答えは、「仏」と自分が一体になった状態を指す「即身成仏」の思想だった。「成仏」とは、悟りを開き、輪廻しているこの世界から解脱し、涅槃の境地に入ること。

 密教以前の仏教(顕教)では、人間が悟りを得たいと思って修行しても、無限大の時間がかかるとされていた。しかし、空海は「三密(さんみつ)」の修行をすれば、この世に生きている間に可能だと主張した。「三密」とは「身密(しんみつ、坐禅など)」「語密(ごみつ、読経や真言を唱える)」「意密(いみつ、瞑想)」のことである。

▽おむすびはパンになった
 「子どもの頃、『南無大師遍照金剛、接待食いでー』と言いながら、歩いたよね。まだ、やってるの」と電話で、母に聞いてみた。「『大師様』のことだね。まだ、毎年、4月13、14、15日にやってるよ。旗を立てて、箱に入った『大師様』を担いで、部落から部落へリレーみたいに引き継いでいくんだ。『大師様』を引き継いだその部落の人たちは、『大師様』を担いできた別の部落の人たちにお前が子どもの頃は、おむすびをふるまって、接待したんだ」
 「箱に入っている『大師様』って?」「仏像、多分、弘法大師の像のことだよ」「そもそも、『大師様』の目的はなんだったの」「さあー、弘法大師は偉い人だったから、御利益があるからじゃないの。農家は忙しくて、昔は何の楽しみもなかったら、休みが取れて、みんな『大師様』を心待ちにしていたよ。でも、今は若い人が少なくなり、老人ばかりになってしまって。歩けないから、車で『大師様』を運んでいる。おむすびもパンになっちゃった」

▽弘法大師に帰依します
 母に聞いてもこれ以上のことは分からなかった。そこで故郷のお寺の住職に電話してみた。「新四国八十八ヶ所ですよ」「えっ、お遍路さんですか」「そうです。お遍路さんの地域版です。範囲は東庄町とその周辺で、江戸時代中期から始りました。『大師様』を担ぐということは『同行二人』ということ。弘法大師といつしよに巡っているという意味です。自分では回れない人が、その願いをお遍路に託すんです」
 そもそも、お遍路とは四国八十八ヶ寺を巡拝することである。巡礼者は、お寺を一つ一つ詣でることで、見も心も清らかにして八十八の煩悩を取り除き、悟りを開いていく。「接待」とは 遍路道沿いの人々が、食事や金品などをあげて、巡礼者をもてなすことだ。「南無大師遍照金剛」の南無は「帰依します」という意味であり、大師は弘法大師、遍照金剛は弘法大師が授かった称号だ。

▽仏縁はどこにでも存在する
 空海は62歳の時、「56億7000万年ののち、自分は必ず弥勒菩薩とともにすべての仏弟子を救うために下生(げしょう)し、わが跡を訪れるだろう」と弟子たちに、言い残して息を引き取った。弟子たちは空海を高野山奥の院に大師御廟の石室に葬った。
「それから1000年余、真言宗では、弘法大師空海はいまも入定したまま大師御廟に生きている、と固く信じられている。朝・昼2回、ご供物が進上され続けているのだ。これは弘法大師空海が、いまもその徳をもって人々を救済している…という信仰の証なのである」(「密教の本」、学研)
 地域間の移動も不自由の上、交通手段も発達していなかった江戸時代、庶民にとって、実際に四国八十八ヶ寺を巡拝することは、夢のまた夢だったはず。そこで叶わぬ夢を「新四国八十八ヶ所」に託したのだろう。その宗教的行事が今なお、故郷で脈々と続いている。「大師様」と母は、電話の中でとても親しみを込めていっていた。「大師様」は、それを信じる人々と地域でも、心の中でしっかりと生きている。

 私は北鎌倉への転居によって仏縁に出会ったと思っていた。しかし、今回、故郷のお遍路さんのことを知って、仏縁はどこにでも存在しているのだとしみじみ思った。ただ、それを存在たらしめるには、仏縁を意識する必要がある。最も身近な実家の宗派を知ることが、仏縁や仏教を意識する、一つのいい機会なのかもしれない。(了)

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■「同窓さはら」寄稿原稿

c0014967_109964 ■「同窓さはら」寄稿原稿
  団塊世代よ、帰りなん、いざ故郷へ!
 今年の5月21日に「団塊世代よ、帰りなん、いざ故郷へ!―セカンドライフの一つの選択肢―」というタイトルの本を出版しました。昭和23年生まれの私は、団塊の世代のど真ん中に位置しています。団塊世代とは昭和22年から24年に掛けて生まれた第一次ベビーブームの世代を指します。国勢調査によると、何とその数約690万人。この巨大な塊が間もなく定年を迎えます。日本の社会や経済、文化などに与える衝撃が大きいため、「2007年問題」として、マスコミで連日のように大きく取り上げられています。
 定年はサラリーマンにとって、長年住み慣れた「場」から、別の「場」への強制移動を意味します。別の「場」への移動、言い換えれば、次なる「自分の居場所探し」に当たっては、それなりの準備と、気持ちの切り替えが必要です。当事者の立場から思っていることや実践してきたことを書いてみました。内容は観念論ではなく、実践論です。次なる「自分の居場所探し」のガイドブックのような役割を果たしてくれることを願っています。
 10年前に横浜から北鎌倉に転居したことがきっかけで、北鎌倉湧水ネットワークというボランティア組織を設立し、自然環境保全や街づくりをメーンとした地域活動に関わっています。それ以前は多くのサラリーマンと同様に自宅と会社を往復するだけで、地域では「根無し草」でした。地域活動をしていく中で体験的に学んだことがあります。それは、30年も仕事をしてくれば、その仕事を通じて培ってきたかけがえのないノウハウがあるはずで、このノウハウは会社を離れた地域でも必要とされているということです。本ではセカンドライフの一つの選択肢として、そのノウハウを自分の住んでいる地域とか、故郷の活性化のために使ってみてはどうかと提案しています。
 この本の出版日の5月21日に友人が、横浜で私の講演と歌手の盧佳世さんのコンサートを中心にした出版記念会を開いてくれました。佐原高校時代からの親友の宮崎丈史君(千葉県農業センター企画調整部・企画情報室長、農学博士)と江黒雅美君(明治乳業・管理部長)も駆けつけてくれて、とても楽しい集いになりました。本は神奈川県秦野市の「夢工房」から出版されました。地域出版なので書店では手に入りません。購入を希望される場合は夢工房(●メール:yumekoubou-t@nifty.com●FAX:0463-83-7355●TEL:0463-82-7652)に直接申し込んでください。送料は無料です。

*私は佐原高校のOBです。塚本倫正編集長(高5)より、お声が掛かり、寄稿させていただきました。母が大変喜んでおりました。ささやかな親孝行らしきものができました。ありがとうございました。

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2005年8月22日 (月)

東大社(氏神様)

3  東大社は実家の氏神様である。氏神様である東大社の20年に1度のお祭りが「神幸祭」。東総地方最大のお祭といわれている。

 東庄町郷土史研究会から、「神幸祭」について執筆依頼があり、「東庄の郷土史」に「<特別寄稿>まだ見ぬ「神幸祭」に思う」を寄稿した。依頼者の了解を得てHPに掲載する。「神幸祭」だけでなく、東大社の歴史や思いでにも触れている。

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より故郷を理解するために:推薦本

「団塊世代よ、帰りなん、いざ故郷へ!―セカンドライフの一つの選択肢―」(夢工房)

東京女学館大学の西山昭彦・国際教養学部教授絶賛!
 この本こそ、あと3年で定年になる団塊の世代の生きる「教科書」である。野口さんが、これまで必死に追求し、ついに見つけた生き方とは。人は最後どこへ向かっていくのかがわかる書。

詩集「レヴィンの系譜-時間(とき)のとまった26歳の青春-(夢工房)

詩人・城戸朱理氏推薦!
 これはピュアな想いが、そのまま言葉(リリック)になったもの。世界や社会への反抗(プロテスト)ではなく、見知らぬ誰かに手を差しのべるように―。
 やさしく、ナイーヴな魂が、ここには柔らかく息づいている。その「強さ」だけは、誰にも奪うことはできない。

【千葉氏探訪ー房総を駆け抜けた武士たち】(*著者:鈴木 佐/監修:千葉氏顕彰会*千葉日報社編集局 出版年月: 2002.3.15  本体価格: \2300 )

* <ワン・チョット>
 関東武士の血は全国に広がり、私のルーツは千葉氏と戦っていたんだ!

 友人を介して著者の鈴木さんからこの本をいただいたのは、すでに半年くらい前。日本の中世武家社会にそれほど興味がなかったため、積読状態になっていた。(鈴木さん、ごめん!)

 最近読み始めたきっかけは、「武士道」を表した新渡戸稲造が千葉氏の末裔であることを知ったことから。さらに、大河ドラマ「新選組!」のなかで、幕末江戸の剣術流派の名前がよくでてくるが、中でも一番大きい北辰一刀流の開祖も名前の通り、千葉氏だったらしい。とか、剣術道場の床の間にかけてある「香取大明神」の条幅の香取神宮も千葉氏の、武士の信仰の対象であったなど、幕末明治の歴史の流れの中に千葉氏の影が、あちこちに現れて、急激に興味をそそられてきた。
いまさらだが、千葉県、千葉市の県市名の由来も、千葉氏発祥の土地ということらしい。

とにかく、この1冊で、鎌倉時代の東武士や豪族集団が、いかにして他の地域とつながり、滅ぼし、東西南北にひろがっていくかが、手に取るようにわかってくる。
同時に、千葉氏の宗教としての妙見(北極星)信仰についても、たいへん分かりやすく書かれている。この本の中で、私が最も興味深く読んだ部分が、この妙見信仰の部分である。

堂々とした本なので、作者も年を重ねた在野の研究者と思いきや、鈴木氏は30歳代のサラリーマンらしい。
千葉氏について、調べ始めたきっかけは、おそらく自分のルーツをたどるというものか、郷土の歴史に興味をもったか、という、ごく普通のきっかけではないだろうか。だれもが、一度は興味をもつ平凡な理由であるが、そこから、これだけの内容を調査研究していったエネルギーが興味深い。
いまも、千葉氏や中世武家社会の探訪に精力的に行動されている鈴木氏の活動を探訪してみたいという興味をかきたてられる。
鈴木氏による、千葉氏探訪は、この本で完結していないようだ。まだまだ、探訪途中。今後、どのような方向にひろがっていくのだろうか?
鈴木さん、、ゴールデンウイークは、どこにフィールドワークにでかけるのかな?

本誌の主な内容
第1部=房総を駆け抜けた武士たち
●頼朝血気、馳せ参じた房総の諸将
●鎌倉幕府を支えた千葉一族
●九州・美濃・奥州の千葉一族
●戦国の騒乱と千葉氏の滅亡
●行き続けた千葉一族と家臣団
第2部=妙見さまを訪ねて
下総国千葉郷妙見寺大縁起絵巻
●戦勝と団結の精神的な支え
●千葉氏の仏教信仰と芸術文化
●房総各地に残る千葉一族の足跡
●全国各地にも千葉氏の足跡
千葉氏一族系図・年表

◆男のブック倶楽部(オリジナル原稿)より転載

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リンク集

東庄・水の里風ロマン(東庄町役場ホームページ)

佐原高校ホームページ

千葉県ホームページ

北鎌倉湧水ネットワーク

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田子作煎餅(田子作本舗)

 吟味した銘柄米と、千葉県産の天然醤油を主原料に、昔ながらの製法に独自の工夫を加え、炭火の上で一枚一枚焼き上げた手焼きせんべいである。記憶の中に存在する遠い故郷を思い出させる、昔懐かしい味がする。私はお中元やお歳暮、お土産として使っている。

 長島 良之助 社長と四男の豊さんは、北鎌倉をこよなく愛している。このため、私が代表をしている北鎌倉湧水ネットワークの活動を理解し、「田子作本舗」は、北鎌倉の風物詩となった毎年春と秋に開催される北鎌倉匠の市(主催:北鎌倉まちづくり協議会)に「田子作煎餅」出品している。

有限会社田子作本舗       
代表者  代表取締役社長 長島 良之助senbei201
所在地 261-0021千葉市中央区新宿1-20-5白幡神社際
TEL 043-241-4638
 FAX 043-244-2416
営業時間 9:00 19:00 定休日 第2、3日曜
E-Mail info@osenbei.co.jp
HOMEPAGE http://www.osenbei.co.jp/

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2005年8月21日 (日)

田舎づくり万才漬(大橋商店)

_001 この夏、故郷の知人から、嬉しい贈り物が届いた。干潟八万石の特産品「田舎づくり万才漬」だ。製造販売は、香取郡干潟町万才の大橋商店(電話:0479-68-2410 FAX:0479-68-4668)。

 人工着色、人工甘味、保存料は一切使っていない。昔ながらの製造方法を基本にしている。しゃっきとした塩辛い食感で、食欲のなくなる夏の暑い時期にはありがたいお漬物だ。

 千葉県の特産品は醬油。「田舎づくり万才漬」に使用される醬油は、「150余年の歴史を誇る仕込み桶にて1年もの長い時間をかけてゆっくりと熟成された醬油を使用している」とリーフレットに記載されている。美味しいわけだ。

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2005年8月20日 (土)

わが故郷は下総台地

c0014967_1023419  わが故郷は下総台地-。私が生まれた東庄町は、千葉県北東部に位置し、東京から約80キロの距離にある。低地は水田、平地は畑、丘陵地は森林地帯となっている。北端を利根川が走り、豊かな水量を大平洋に注ぎ込む。自然が豊かな町である。だが、1980年に約18、500人だった人口 は現在、約17、000人に減少、緩やかな人口流出が続いている。

 東庄はかつて橘庄と呼ばれていた。地名が変わったのは、鎌倉幕府創設者の源頼朝に「常胤(つねたね)は第二の父である」であるといわしめるほど絶大な信頼を得た鎌倉幕府、屈指の御家人、千葉常胤の六男・胤頼が、東庄周辺の領主となり「東」を名乗ったためだ。

 浪曲や講談で有名な笹川繁蔵と飯岡助五郎、二人の侠客の勢力争いの物語である「天保水滸伝」の舞台でもある。当時、利根川が物資輸送の大動脈で、利根川に近い笹川地区が、流通の拠点になっていたと思われる。

 下総大地の地層は関東ローム層。関東地方周辺に位置する富士山や箱根などの火山から噴出した火山灰が1万年以上もの長い時間をかけて、堆積してできた地層だ。畑の土は黒く、ほくほくしている。甘くて美味しい野菜が収穫できる。私はこの土に愛着がある。「地力」を生かした故郷の活性化を願っている。このサイトから「応援歌」を送りたい。

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